MIMOCA→天王寺
2010年1月12日昭和 写真の1945-1989 -カメラがとらえた戦後の日本-
秋山庄太郎、荒木経惟、石内都、石元泰博、木村伊兵衛、牛腸茂男、篠山紀信、柴田敏雄、島尾伸三、高梨豊、東松照明、土田ヒロミ、土門拳、奈良原一高、畠山直哉、細江英公、森山大道、宮本隆司、山端康介ほか80名。
行ってきた。
写真の展覧会行ったの初めてだし、写真作品とのつきあい方もよくわからないまま行った。戦後写真界(?)を牽引してった作家の作品、時代を象徴するような写真など。多数。
時代・テーマを絞った四部構成で、歴史的背景や写真芸術史など文章による説明を交えながら展開。ところどころベンチが並べてあるの、あれ、いいなあ。写真展だから置けることができたのか。なんでだろ。
●第一部:昭和20年代―占領下の日本―
まず最初に目に入るのは、真っ黒な空をバックに白くかがやく太陽の白黒写真。1945年8月15日、その日は晴天だった。これだけの情報で写真は別の意味をもちはじめるのだなあ、と、写真表現のおもしろさ。
『女の子や娘の靴みがきもふえた』林忠彦:有楽町の風景。“丸ノ内靴部佐伯組”と靴台にかかれている。
上野-引き揚げ者・戦争孤児のたまり場。いくあてのない人々、大人と互角にわたりあうたくましさ
『東京裁判』木村伊兵衛:翻訳機を耳にあてた戦犯のうたた寝。
この木村伊兵衛って人、写真家ならずとも誰もが注目してしまう“戦後の混乱期”の現実のさなかにあってもどこか安閑というか、ほのぼのとした視点をもった写真を撮る。かえってその現実のざらざらした感触がきわだつというか。すごいひと。
他にも土門拳のリアリズムであったりとか、一方でヌード写真って表現が確立されてきたり、広告写真っていう需要がでてきたりしたそうです。混血児とか、焼夷弾のやけど傷が顔に残った子供、洋装で颯爽と歩く女性、女子プロレス、総選挙の結果を見に新聞社前におしかける膨大な群集を撮ったものとか、「DEAD END」と英字で書かれた注意書き、いろいろな写真があったけど、全体を通してこの時期って結構好きだと思った。なんでだろう。
日本でもアメリカでもない風景
混乱
女性にとってファッションがエネルギーって、うーん。唸った。
●第二部:昭和30・40年代part1―高度成長期―
『浅草の興行街・台東区』薗部澄:すごいにぎやかでたのしそう。日本映画黄金時代。エンターテイメント
『らくがきあそびもきけんになった』田沼武能:アスファルトの上にチョークで落書きするこどもたちに接触するかしないかの距離を、車が通っている。木村伊兵衛に師事。やっぱいいな。
社会的現実を即物的に記録するばかりでなく、場所や事柄に深く関わり、冷静な視線によって・・・社会的・ドキュメンタリー写真
『一生懸命の時代』英伸三:集団就職の写真?メモし忘れた。
『少年行動隊結成』北井一夫:『三里塚』より。空港建設反対運動。ヘルメットとマントをみにつけてカメラの前にならぶ子供。
戦後派:アプレ・ゲール「10人の眼」脱リアリズム、抽象的表現?
ブレ、ボケ、コンポラ、私写真
「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape(コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって)」
プライベートな視点による写真
●第三部:昭和30・40年代part2―ヒーロー・ヒロインの時代―
原節子さんが一番最初にいた。ミーハーのハート鷲摑み。あと坂口安吾の部屋が存分に散らかってた。感動した。阿部公房もいたよ。
●第四部:昭和50年代―オイルショックからバブルへ―
内向する風景:自身の内面に向き合うような表現は彼らが登場する以前の社会に対する強い主張やメッセージとは異なっていた
伝統的な地域社会や家庭は崩壊 個人主義の“蔓延”
「個」としての複線
『風姿花伝』須田一政
『APARTMENT』石内都
『砂を数える』―海水浴場。群集。
『九龍城砦』宮本隆司
『新宿』森山大道「東京」より
『都市の軌跡』柳沢信―匿名性と郷愁
最後に展示されていた写真は、昭和天皇崩御、電気屋のTVが映すニュース、その前を通り過ぎる人々。いつもとかわらぬ日常。
第一部がおもしろかったのって、今思ったら展示の仕方が私の見方と合致してなかったのかも。機会があったら現在活躍中の作家の作品展にも行ってみたい。
あとは、普段とは断然入場者数が違った気がする。熟年層の夫婦連れとか、結構いたような。常設展にもちらほら人がいた。
毎回思うけどここのピロティ、いいな。ベンチっつうか、ディレクターズチェアっていうのか、椅子が置いてある。なかなか音が響くのでお喋りするのは難しいけど。あとエントランスが近いので一人で座るってのもなんだか気恥ずかしい。
次回の特別展もおもしろそうです。
というか次国立現代美術館?でやってるのちょっと行きたいのだが。ドローイングがなんとか。
秋山庄太郎、荒木経惟、石内都、石元泰博、木村伊兵衛、牛腸茂男、篠山紀信、柴田敏雄、島尾伸三、高梨豊、東松照明、土田ヒロミ、土門拳、奈良原一高、畠山直哉、細江英公、森山大道、宮本隆司、山端康介ほか80名。
行ってきた。
写真の展覧会行ったの初めてだし、写真作品とのつきあい方もよくわからないまま行った。戦後写真界(?)を牽引してった作家の作品、時代を象徴するような写真など。多数。
時代・テーマを絞った四部構成で、歴史的背景や写真芸術史など文章による説明を交えながら展開。ところどころベンチが並べてあるの、あれ、いいなあ。写真展だから置けることができたのか。なんでだろ。
●第一部:昭和20年代―占領下の日本―
昭和20年代(1945-1955)に撮影された作品で構成。戦禍の廃墟からアメリカ軍による占領をへて、民主主義を掲げてスタートする「新生日本」の現実を直視した写真家たちが、時代の光景だけでなく、時代の感情までも鋭くも豊かなまなざしで切りとった作品を展示します。
まず最初に目に入るのは、真っ黒な空をバックに白くかがやく太陽の白黒写真。1945年8月15日、その日は晴天だった。これだけの情報で写真は別の意味をもちはじめるのだなあ、と、写真表現のおもしろさ。
『女の子や娘の靴みがきもふえた』林忠彦:有楽町の風景。“丸ノ内靴部佐伯組”と靴台にかかれている。
上野-引き揚げ者・戦争孤児のたまり場。いくあてのない人々、大人と互角にわたりあうたくましさ
『東京裁判』木村伊兵衛:翻訳機を耳にあてた戦犯のうたた寝。
この木村伊兵衛って人、写真家ならずとも誰もが注目してしまう“戦後の混乱期”の現実のさなかにあってもどこか安閑というか、ほのぼのとした視点をもった写真を撮る。かえってその現実のざらざらした感触がきわだつというか。すごいひと。
他にも土門拳のリアリズムであったりとか、一方でヌード写真って表現が確立されてきたり、広告写真っていう需要がでてきたりしたそうです。混血児とか、焼夷弾のやけど傷が顔に残った子供、洋装で颯爽と歩く女性、女子プロレス、総選挙の結果を見に新聞社前におしかける膨大な群集を撮ったものとか、「DEAD END」と英字で書かれた注意書き、いろいろな写真があったけど、全体を通してこの時期って結構好きだと思った。なんでだろう。
日本でもアメリカでもない風景
混乱
女性にとってファッションがエネルギーって、うーん。唸った。
●第二部:昭和30・40年代part1―高度成長期―
この時期は東京オリンピックや大阪万博など明るい出来事が印象的ですが、繁栄の陰で安保闘争や公害問題など、現在でも解決のついていない問題が起きた時期でもあります。写真家たちは急速に価値観が変わっていく時代をそれぞれの表現で捉えていきました。変貌する光景の中に、この時代の光と陰が交差していく様を見ていただけることでしょう。
『浅草の興行街・台東区』薗部澄:すごいにぎやかでたのしそう。日本映画黄金時代。エンターテイメント
『らくがきあそびもきけんになった』田沼武能:アスファルトの上にチョークで落書きするこどもたちに接触するかしないかの距離を、車が通っている。木村伊兵衛に師事。やっぱいいな。
社会的現実を即物的に記録するばかりでなく、場所や事柄に深く関わり、冷静な視線によって・・・社会的・ドキュメンタリー写真
『一生懸命の時代』英伸三:集団就職の写真?メモし忘れた。
『少年行動隊結成』北井一夫:『三里塚』より。空港建設反対運動。ヘルメットとマントをみにつけてカメラの前にならぶ子供。
戦後派:アプレ・ゲール「10人の眼」脱リアリズム、抽象的表現?
ブレ、ボケ、コンポラ、私写真
「Contemporary Photographers, Toward A Social Landscape(コンテンポラリー・フォトグラファーズ 社会的風景に向かって)」
プライベートな視点による写真
●第三部:昭和30・40年代part2―ヒーロー・ヒロインの時代―
昭和30年代、40年代頃に撮影された有名人たちの肖像写真を紹介します。スポーツ選手から俳優、歌手、政治家まで高度成長期に、人々が熱く支持した「時代の顔」と、人物写真の表現スタイルの変遷を通して、私たちが生きた道のりを振り返る絶好の機会となるでしょう。
原節子さんが一番最初にいた。ミーハーのハート鷲摑み。あと坂口安吾の部屋が存分に散らかってた。感動した。阿部公房もいたよ。
●第四部:昭和50年代―オイルショックからバブルへ―
昭和50年代以降から平成へと元号が変わる時期までに撮影された写真を紹介します。経済の低成長からバブルへ突入した時期でした。写真家たちが、自らの内面を見つめながら、社会が孕む問題をどのように表現したのかを、それぞれの写真表現から読み取ることができるでしょう。
内向する風景:自身の内面に向き合うような表現は彼らが登場する以前の社会に対する強い主張やメッセージとは異なっていた
伝統的な地域社会や家庭は崩壊 個人主義の“蔓延”
「個」としての複線
『風姿花伝』須田一政
『APARTMENT』石内都
『砂を数える』―海水浴場。群集。
『九龍城砦』宮本隆司
『新宿』森山大道「東京」より
『都市の軌跡』柳沢信―匿名性と郷愁
最後に展示されていた写真は、昭和天皇崩御、電気屋のTVが映すニュース、その前を通り過ぎる人々。いつもとかわらぬ日常。
第一部がおもしろかったのって、今思ったら展示の仕方が私の見方と合致してなかったのかも。機会があったら現在活躍中の作家の作品展にも行ってみたい。
あとは、普段とは断然入場者数が違った気がする。熟年層の夫婦連れとか、結構いたような。常設展にもちらほら人がいた。
毎回思うけどここのピロティ、いいな。ベンチっつうか、ディレクターズチェアっていうのか、椅子が置いてある。なかなか音が響くのでお喋りするのは難しいけど。あとエントランスが近いので一人で座るってのもなんだか気恥ずかしい。
次回の特別展もおもしろそうです。
というか次国立現代美術館?でやってるのちょっと行きたいのだが。ドローイングがなんとか。
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